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トールキン 旅のはじまり

ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン 年譜

1892年
1月3日

南アフリカのオレンジ自由国(現・南アフリカ共和国フリーステイト州)ブルームフォンテンに生まれる。
父は銀行家のアーサー・トールキン、母はその妻メーベル。

1895年

母と弟ヒラリーと共にイギリスへ渡り、バーミンガムの母の実家で暮らす。

1896年

南アフリカに残っていた父がリューマチ熱で死去。
母に収入がなかったため、母子3人でそのままバーミンガムの母の実家に住むことになる。その後、ミッドランド西部の田園地帯にあるウースターシャー近くのひなびた水車の村セアホールに母と弟と引っ越す。その家で母から教育を受け、言葉、物語、樹木への愛を分かち合った。周囲は自然の美しさに溢れ、「ホビットの冒険」「指輪物語」に出てくる“ホビット庄”や他の村の着想となった。ちなみに、ウースターシャーに叔母ジェーンの農場があり、土地の人からバッグエンド(袋小路)と呼ばれていた。ビルボ・バギンズの家にその名前を付けたのは、愛読者の間では有名な話である。

1900年

バーミンガム郊外モーズリーの家へ移転。まもなくバーミンガムのキング・エドワード校(エドワード王により1552年に創設された男子校)へ通う。

1904年

母は糖尿病により34歳で死去(インシュリンが開発される20年前だった)、12歳にして両親を失う。母の友人で宗教心に厚い指導者フランシス・モーガン神父が後見人となり、成人するまで金銭面や教育を監督した。

1908年

弟と共にフォークナー夫人の家に下宿し、同じ家に住むエディス・ブラットと出会う。19歳のエディスも孤児で、当時はコンサート・ピアニストを志望していた。

1910年

学業が不振になるのを見たモーガン神父から、エディスとの交際を21歳になるまで禁止される。

1911年

ロバート・ギルソン、ジェフリー・スミス、クリストファー・ワイズマンと秘密クラブを結成、学校の近くにあるバロウ・ティールームからとって、T.C.B.S.と名前を付ける。メンバーと共にお茶やケーキ、読書を楽しみ、知的な議論を展開し、それぞれの大志を育んだ。
10月からオックスフォード大学エグゼターカレッジで、古典文学の研究を始める。

1913年

研究を英語の言語学と文学に変更する。
21歳の誕生日にエディスに求婚の手紙を書くが、エディスが他の男と婚約したと知り、これ以上追いかけてはいけないと悟る。だが、チェルテナム駅で再会したことをきっかけに、愛は復活する。

1914年

エディスと正式に婚約。

1915年

第一次世界大戦への従軍を志願する。

1916年

3月22日、エディスと結婚。
6月に前線に配属され、7月にはソンムの戦いに参戦する。秋には塹壕熱にかかり、イギリスに戻される。後に、自分がいた部隊は、ほぼ全滅したと知る。秘密クラブの親友ロバート・ギルソンとジェフリー・スミスもこの戦争で戦死する。

1917年

長男ジョン誕生。

1918年

オックスフォードに戻る。

1920年

リーズ大学の英語講師に任命される。次男マイケル誕生。

1924年

リーズ大学英語学教授となる。三男クリストファー誕生。

1925年

オックスフォードのロウリンソン・ボズワース記念アングロ・サクソン語教授に選ばれる。

1929年

長女プリシラ誕生。

1937年

「ホビットの冒険」を上梓し、評論家より広く称賛される。

1954年~
1955年

「指輪物語」第1~3部を世に出し、史上最高の売上を記録する。あらゆる言語に翻訳され、今なおポップカルチャーに影響を与え続けている。

1971年

エディスが82歳で死去。オックスフォードの墓地にあるエディスの墓石に、ルーシエンの名を刻む。ルーシエンとは、恋におちた人間ベレンのために、不死の命を捧げた魅惑的なエルフの王女につけた名前。

1973年
9月2日

81歳で死去。墓石の本名の下には、ルーシエンが命を投げうった死すべき定めの人間であるベレンの名前が刻まれている。