時代を変えた、<女と男の熱い戦い>!

EMMA STORN  STEVE CARELL
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女子の優勝賞金が男子の1/8
悩まない人間には世界は変えられない…
女性がスポーツ選手になることさえ白い目で見られていた
性差を超えた戦い
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時代を変えた、〈女と男の熱い戦い〉!

INTRODUCTION

女子現テニス世界チャンピオン29歳VS男子元世界チャンピオン55歳 果たして勝者はどちらか?そして、この戦いの本当の目的とは?

1973年、全世界で9,000万人の目をくぎ付けにした決戦があった。女子テニスの世界チャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスの戦いだ。
男女平等を求める運動が起こっていたが、あくまで“始まり”にすぎなかったこの時代、女子の優勝賞金が男子の1/8だという事実に抗議したビリー・ジーンは、仲間と共に“女子テニス協会”を立ち上げ、自分たちでスポンサーを探し出す。そんなビリー・ジーンに、“男性優位主義の代表”として挑戦状を叩きつけたのが、ボビー・リッグスだ。一度は拒否したビリー・ジーンだが、彼女にはすべてをかけて戦わなければならない理由があった。遂に“バトル・オブ・ザ・セクシーズ=性差を超えた戦い”が幕を開ける──。
ビリー・ジーン・キングには、大ヒット作『ラ・ラ・ランド』で見事オスカーに輝いたエマ・ストーン。「ベストを尽くせば世界を変えられる」と信じ、今現在も様々な活動を続けているパワフルかつチャーミングな実在の女性を演じきった。ボビー・リッグスには、『フォックスキャッチャー』でオスカーにノミネートされたスティーブ・カレル。“全女性の敵”にユーモアたっぷりに扮するとともに、彼の切なさまでも滲ませる圧巻の演技で魅了する。
製作のダニー・ボイル、脚本のサイモン・ボーフォイと、アカデミー賞®を受賞した『スラムドッグ$ミリオネア』チームが再び手を組んだ。監督はアカデミー賞®4部門にノミネートされた『リトル・ミス・サンシャイン』のヴァレリー・ファリス&ジョナサン・デイトン。
スポーツ界はもちろん、政治や社会、学校や家庭における女と男の関係までも変えた世紀の戦いの全貌が、今明かされる! 最高に爽快で痛快なラストが、真に自分らしくあるための勇気と希望をくれる感動の実話。

STORY

「女をコートにいれるのはいい。でなきゃ球拾いがいない」

「一番になってやる。そうすれば世界を変えられる」

1973年、伝説となった世紀の一戦を見逃すな!

全米女子テニスチャンピオンのビリー・ジーン・キングは怒りに燃えていた。全米テニス協会が発表した次期大会の女子の優勝賞金が、男子の1/8だったのだ。仲間の選手たちと“女子テニス協会”を立ち上げるビリー・ジーン。資金もなく不安だらけの船出だったが、著名なジャーナリストで友人のグラディス・ヘルドマンがすぐにスポンサーを見つけ出し、女子だけの選手権の開催が決まる。時は1973年、男女平等を訴える運動があちこちで起こっていた。女子テニス協会もその機運に乗り、自分たちでチケットを売り、宣伝活動に励む。
トーナメントの初日を快勝で飾ったビリー・ジーンに、かつての世界王者のボビー・リッグスから電話が入り、「対決だ! 男性至上主義のブタ対フェミニスト!」と一方的にまくしたてられる。55歳になって表舞台から遠ざかったボビーは、妻に隠れて賭け事に溺れていたのがバレ、夫婦仲が危機を迎えていた。再び脚光を浴びて、妻の愛も取り戻したいと考えたボビーの“名案”が、男対女の戦いだった。
ビリー・ジーンに断られたボビーは、彼女の一番のライバルであるマーガレット・コートに戦いを申し込む。マーガレットは挑戦を受けるが結果は完敗、ボビーは男が女より優秀だと証明したと息巻くのだった。逃げられない運命だと知ったビリー・ジーンは、挑戦を受ける。その瞬間から、世界中の男女を巻き込む、途方もない戦いが始まった──!

CAST

STAFF

about Billie Jean King

ビリー・ジーン・キングとは?

ビリー・ジーン・キング・イニシアティブの創設者で、ワールド・チーム・テニスの共同創設者。長きにわたり、社会変革と平等を求めて戦っている。
1943年11月22日、アメリカ、カリフォルニア州、ロングビーチ生まれ。11歳からテニスを始めた。
ウィンブルドンでは、1961年に女子ダブルスで優勝したのを皮切りに、最多記録である20回の優勝を誇る。さらに、四大大会のシングルス、ダブルス、混合ダブルスを合わせて39回制した。
1973年9月20日、「バトル・オブ・ザ・セクシーズ(性差を超えた戦い)」と呼ばれた試合でボビー・リッグスを破り、女性たちを勇気付け、男性たちに学びを与えた。この試合は社会に影響を与え、女性解放運動に寄与したことから、人々の記憶に残るものとなる。
1974年、革命的なプロテニスリーグであるワールド・チーム・テニス(WTT)を共同設立。現在43シーズン目を迎えている。同年、女性スポーツ財団を創設、スポーツや身体的活動を通じて少女や女性の生活を進歩させることを使命とする。2006年、全米オープンの大会会場がUSTA・ビリー・ジーン・キング・ナショナルテニスセンターと改名された。2014年、ビリー・ジーン・リーダーシップ・イニシアティブを開始。2014年2月、オバマ大統領より、ロシア、ソチ冬季五輪の政府代表団に任命された。
行政の援助が行き届かない人々への支援を生涯の使命とし、HIV感染者へのプログラムと財政的支援を、エルトン・ジョン・エイズ基金(EJAF)と共に行っている。
タイム社による「20世紀における最も重要なアメリカ人100人」に名を連ねる。2009年、大統領自由勲章をオバマ大統領より授与された。